17億の借金がゼロに・・・②


 

金融事故になった借金、債権者はあらゆる手段で回収しようとしてきます。

債務者に返済原資があれば、回収も可能かもしれませんが、多くの場合は難しい状況だと思います。

そんな時、債権回収はいつまでも続くわけではありません。

いつかは、返済できなくても、債権回収はされなくなるものなのです。

 

 

金融事故になった経営者は、いつまでも、債権者の厳しい追及に晒されることになってしまうのでしょうか・・・。

債権者は必死で回収をしようとするでしょうが、多くの債務者は、借入金の返済どころか日常の生活さえ難しい状況だといえるでしょう。

返済原資も資産もない債務者に、プロの債権者が回収を続ける・・・こんな無駄で意味のないことがいつまでも続くわけがありません。

いつかは、債権者も債権回収を諦めるしかないのです。

返済できるはずのない借入金、いったい最後はどうなるのかについて、前回のブログに続いて、ご紹介した事例を具体的に確認していきたいと思います。

 

健全時に、都市銀行からプロパーで運転資金として借入していた約2億1千万円①は、その後しばらくして、系列のサービサーに債権譲渡がなされました。

具体的な債権回収が始まり、サービサーは6000万円ほどでの一括和解を求めてきます。

しかし、そんな返済資金があるわけもなく、交渉は停滞し、サービサーは訴訟をすると言い出しました。

訴訟をされても、経営者は『無い袖は振れない状況』ですから痛くも痒くもなく、逆に債務不存在を主張して対抗をされました。

それからも、色々と交渉が続きましたが、1年半ほど経過した頃、サービサーから驚くべき和解条件が提示されました。

20万円支払うことで、一括和解するというのです。

2憶1千万円の債務が、20万円で和解するというのは、2億980万円の債権放棄となりますから驚きです。

しかし、これで喜ぶのではなく、更に交渉を続け、最終的に10万円での一括和解となり、債権債務は消滅しました。

上記と同じ様な事例で、対象不動産の購入資金として、都市銀行のプロパーで借入した約4億5千万円④は、まず、任意売却で担保不動産を処分し、残債は約3億円になりました。

その後、上記と同じサービサーに債権譲渡され、同じ様な経緯で和解を提案されました。

提案された和解額は30万円でしたが、最終的に15万円という金額での和解となり、最終的に債権債務は消滅したのです。

 

健全時に、地方銀行からプロパーで借入したマンション建設資金の約1億8千万円②については、担保不動産を任意で売却をするように地方銀行から依頼をされました。

地方銀行としても、競売よりも任意売却の方が多く債権回収できますから、当然の要望だといえます。

知り合いの不動産業者に仲介を依頼しましたが、なかなか要望額での購入希望者は現れません。

地方銀行の同意額で決済をされるまで、8ヶ月程かかってしまいましたが、この間の家賃は、担保価値に余剰があったため、地方銀行へ返済もせずに全て経営者の手元に残りました。

経営者もこのマンションに居住されていたため、地方銀行は引越し費用までも認めてくれ、最終的に債権債務は消滅しました。


もう1つ、健全時に住宅金融公庫から借入をしたマンション建設資金の約2億2千万円③についても、上記の地方銀行の場合と同じように、任意売却で処理されました。

これも、短期間ではありますが、ある程度の賃料を確保することか出てきて、最終的に債権債務は消滅したのです。

 

対象不動産の購入資金として、都市銀行から信用保証協会の保証付きで借入した約2億円⑤と、そして弁済資金として同じ様に借り入れをした8千万円⑨と約7千万円⑩と5千万円⑪は、期限の利益の喪失後、直ぐに信用保証協会に代位弁済をされました。

その後、弁済について交渉が続き、連帯保証人名で毎月3000円を弁済することで承諾をとりました。

第2順位の担保権により、債務の一部は不動産の任意売却により弁済をし、それから5年が経過しました。

その間、一定のやり取りはありましたが、時効の中断もなく、時効期間が完成をしました。

その後、信用保証協会が何かしてくれば時効の援用をするという考えで、実質的に時効により債権債務は消滅しました。


同じ様に、弁済資金として都市銀行から信用保証協会の保証付きで借入した7000万円⑦は、経営者の実家が第1順位の担保になっていました。

代位返済後、何故か信用保証協会は、いきなり競売を仕掛けてきたのです。

年老いた両親が住んでいますので、経営者は信用保証協会に頭を下げて競売を取り下げてもらい、ほぼ信用保証協会の言い値で買い戻すということになりました。

大きな出費ではありましたが、それも担保価値の範囲内で収まりましたから、無駄な出費とはいえません。

買戻しをしても、残債務は残りましたが、これも5年で時効期間が完成し、実質的に時効により債権債務は消滅しました。


弁済資金として都市銀行から信用保証協会の保証付きで借入をした約1億6千万円⑥は、他と違う対応を取られました。

代位弁済から4年半経過した頃、時効を中断させるために通常の訴訟をされたのです。

しかも、ほとんど弁済できない債務者に対して、高額の裁判費用を費やすのが勿体ないのか、8000万円の債務のうち、1000万円だけを対象にした内容になります。

訴訟により、対象となった1000万円については債務名義を取られましたが、残りの7000万円については、時効の中断はされていません。

その後、時効の中断の行為がないままに10年が経過し、実質的に債権債務は消滅しました。

 

弁済資金として国民金融公庫から借入した約3千万円⑧は、経営者が一番苦労をした債務だといえます。

国民金融公庫は、当初から厳しい債権回収姿勢を見せました。

頻繁に返済についての話し合いがもたれ、都度、容赦なく追及をされ、訴訟や強制執行の脅しが続きました。

そして、現実的に通常の訴訟がなされ、債務名義を取られ、現実的な差押に不安を抱く日々が続きました。

しかし、その後、一切、差押などの時効の中断もなく、訴訟から10年で時効期間は完成し、実質的に債権債務は消滅しました。


弁済資金として、中小企業金融公庫から借入をした約1億円⑫は、その後、全く追及はありません。

今は、同じ日本政策金融公庫となっている国金と、何故これほどに違うのかというほど両極の対応なのです。

ほぼ連絡もないまま5年が経過し、時効期間は完成して実質的に債権債務は消滅したのです。

 

以上で、17.3億円という膨大な借入金が消滅をしました。

1昔前の事例になりますが、基本的なところは今と何ら変わっていないでしょう。

特に時効については、以前より援用がし易くなったといえるのかもしれません。

膨大な負債を背負って、金融事故後の人生を過ごしておられる経営者も少なくないと思います。

将来を悲観した人生を過ごされるのではなく、まず、この現実を理解してください。

弁済できる資金が無くても、この様に、負債は消滅していくものなのですから、前向きに生きないと損ではないでしょうか・・・。

 

 

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