政府のコロナ後戦略・・・
中小事業者の業績が、悪化をし続けています。
売上は回復に向かえども、粗利益が確保できないのです。
その結果、資金繰りを悪化させて、コロナ終息後の中小事業者の経営は大変な状況に陥っています。
コロナが終息すれば、業績は回復して経営は楽になるという目論見と、現実の業績とに乖離があり過ぎて、中小事業者の混乱が止まらないのです。
中小事業者の業績が、悪化をし続けています。
売上は回復に向かえども、粗利益が確保できないのです。
その結果、資金繰りを悪化させて、コロナ終息後の中小事業者の経営は大変な状況に陥っています。
コロナが終息すれば、業績は回復して経営は楽になるという目論見と、現実の業績とに乖離があり過ぎて、中小事業者の混乱が止まらないのです。
過去に、この様な不況はなかったと思います。
数え上げればキリがないほどに、これでもかと不況要因が重なって発生しているのです。
その中でも、中小事業者の経営を蝕んでいるのが、異常な原材料高と人材不足ということになるのでしょう。
この2つを克服しなければ、中小事業者が経営を維持して生き残ることができないところまで来ています。
言い換えれば、原材料高を克服するために適正な価格を確保することと、人材不足を克服して受注の機会を確保することが求められているのです。
今、想像を超える様な、難しい経営環境になりつつあるように思います。
我々の周りでは、急激に資金繰りが悪化して、驚くほどに倒産が増加しているのです。
確実に、歴史に残るような不況期に突入しているようですが、この不況を何と呼べばいいのでしょうか。
なぜなら、不況の概念を覆すような、経験したことのない変わった不況だからです。
傍目から見れば、中小企業の経営者は、目標とされる憧れの存在なのかもしれません。
高額の報酬を得て、豪華な自宅に住み、高級外車に乗って、羨ましい限りの生活を過ごされているのでしょうか。
たしかに、景気の良い環境において、健全な業績を確保できている状況ならば、苦労に見合った成果を得ることができると思います。
しかし、業績が悪化しようものなら、経営者を取り巻く環境は一変し、場合によれば生活さえも難しくなるような、とても厳しいポジションだということも理解しておく必要があるでしょう。
リーマンショックという特異な不況は、まだ鮮明な記憶として残っているのではないでしょうか。
一夜にして、突然に全てが崩壊してしまったのです。
あれから15年という年月が流れましたが、また、形を変えて同じ様な不況が発生しようとしています。
今度は、驚異的な経済成長を遂げていたはずの、中国で発生しようとしているのです。
ドンドン業績が悪化し、資金繰りが厳しくなっていきます。
このままでは大変なことになり、何とかしなければなりませんが、この様な厳しい経営環境に対応すべき知識や情報がありません。
今まで何の準備もせず、経営者として無責任であり失格なのかもしれませんが、何をどうすればいいか分からず、ただ、前向きな強い気持ちで打開に向けて先頭に立って取組みました。
すると、社員も前向きな姿勢で取組むようになり、自然に流れが良い方向に変わっていくようなのです。
どんなに立派に見える会社でも、いつなん時、倒産するか判りません・・・。
経営者がどれだけ優秀であろうとも、従業員が一生懸命に頑張って働いていたしとても、経営が破綻することは珍しくないのです。
過去の不況において、経営環境の悪化という外因により、様々な会社が突然に倒産をしてきました。
そして、今、過去に例を見ない様な不況に、なろうとしているのかもしれません。
たった、一度、呼ばれて状況を確認されただけです。
その時、返済できない状況を謝罪し、何とかしたいという気持ちを伝えたうえで、現在の厳しい状況を説明しました。
金融事故になって呼ばれてから、2年が過ぎようとしますが、定期的に送られてくるのは残債の書かれたはがきだけで、それ以外に連絡はありません。
信用保証協会は、生活さえもままならない私の状況を知り、債権回収を諦めたとでもいうのでしょうか・・・。
景気が、判りにくくなっています。
情報が錯綜しすぎて、景気が良いのか悪いのか、判断が出来ないのです。
テレビニュースなどでは企業の好業績が伝えられますが、身近な経営者からはため息しか聞こえてきません。
中小事業者に限れば、確実に厳しい経営環境に突入しているように感じます。
借入金が返済できなくなると、直ぐに裁判をされるものだと思っていました。
そして、現預金や不動産、高価な動産などの資産が強制執行をされて、身包み剥がされるものだと信じていたのです。
ところが、現実は全く違い、債権回収はそんなに容易にされるものではないと判りました。
強制執行をするにしても、その対象となる資産を探すのが困難で、成功する可能性が低いので債権者も積極的には取り組まないというのです。