『武士は食わねど高楊枝』といいますが、現在では、なかなか理解されない言葉だと思います。
『生活』よりも『プライド』を大事にするという生き方は、貧乏でも、気位を持って生きる『清貧』という意味になるのでしょう。
『プライド』よりも『生活』を優先しなければならないのが、我々一般庶民ですから、まずは満足な収入を得ることが大事なのです。
経営危機においては、この『生活』と『プライド』は両立するものではなく、どちらが大事なのかについて様々な場面で議論をされてきました。
今年は、桜の開花が、随分と早かったようです。
日本の『四季』の象徴である『桜』も、今年は早くに咲き誇り、今は散り急いでいるようにさえ思えます。
先日亡くなった友人は、この桜が大好きで、年頭には、『今年の桜は、見ることができるのかな・・・』などと言っていました。
しかし、開花直前に、彼は旅立ちました。
生きることに向けて、最後まで精一杯、諦めずに頑張りましたが、彼は判っていたのかもしれません。
『今年の桜は、見ることができるのかな・・・』というのは、彼の思いであり、悔しさの表れだったのでしょう。
けっして、散り急ぎたかったわけではないのです。
60年も生きていると、人生半ばにして、志を全うできずに亡くなった、多くの仲間がおります。
無情にも、何もかもを失い、全てが絶えるという命の喪失ほど悲しいものはありません。
彼らは、たとえ辛く苦しい人生でも、まだまだ生きていたかったのです。
そう考えると、我々は、生きていられることに、まず感謝しなければならないのでしょう。
亡くなった仲間たちの悔しさに比べれば、我々の辛さや苦しさなど、何ほどのものもありません。
生きてさえいれば、どんな辛さでも幸せにできるかもしれませんし、苦しさを楽しさに変えるチャンスがあるのです。
彼らの悔しさを考えれば、生きている我々は何事にも耐えられ、苦痛をポジティブに捉えることもできるのではないでしょうか。
経営者には、特有のプライドがあります。
事業の責任者として、一国一城の主として、そのプライドは絶対に必要なものだと思います。
しかし、環境の変化に伴い、そのプライドの必要性も変化をさせなければなりません。
経営環境が厳しくなれば、求められる格式や、許容される贅沢といった見えるプライドも、当然に低いものに変化します。
しかし、経営者の責任という気持ち面でのプライドは、そんな環境では、より高いものが求められるようになります。
ところが、万が一に事業が破綻などすれば、そんなプライドも向かう方向が変化してしまいます。
新しい環境に合わせ、実態に即したプライドに変化させることが大事になり、生活を守るという方向性で維持されることになるのです。
今日は、生活ができても、明日はどうなるか判らない環境ですから、耐えて頑張るしかありません。
経営者であった昔のままの甘い考えで、我慢することも判らない、世の中を嘗めた様な日常では通用しないでしょう。
環境の変化に合わせて、自らの意識の改善をしなければならないのです。
状況を認識し、『何とかなる』という意識を捨て、『このままでは駄目だ、何とかしなければ・・・』という意識に変化させ、まず、自分の実情をしっかりと認識してください。
生きるために、我慢するものは我慢し、耐えるものは耐える・・・という姿勢に自分を変化させるのです。
『生活』か『プライド』か、というのは、経営破綻した経営者にとって、真摯に検討すべきテーマだと思います。
若ければ、プライドという答えもあるのかと思いますが、50歳を超えれば、安定した生活を確保することが、最も難しくて大事なテーマになるのではないでしょうか。
たしかに、『プライド』や『仕事の遣り甲斐』,『精神的安寧』というのも、重要なテーマだと思います。
安定した生活を確保したうえで、これらのテーマを充実できれば、これほどの幸せはないでしょう。
しかし、この両立を実現できている方が、どれだけおられるのでしょうか。
一般の社会では、ほとんどの方が、どこかで妥協して、何かを我慢して頑張っておられるのだと思います。
世の中には、色んな奴がいます。
我慢できない様な対応をされることもあるでしょう。
馬鹿は馬鹿だと認識して馬鹿として適当に扱い、阿保には阿保なりの対応をして本気で相手にしないのが、経験を積んだ大人だと思います。
目くじらを立てずに、適当な対応ができれば、悩まなくていいのです。
今は、自分が、そして家族が、幸せになっていくことが、何よりも大事なことだと思います。
詳しい内容は、ホームページをご覧ください,
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