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1000件を超える会社再生のプロ菊岡のプロフィール


名 前 菊岡 正博 (キクオカ マサヒロ)
家族構成 妻と子供2人
(大学1年生と中学2年生の男の子・・・2014年8月現在)
出 身 大阪
現住所 奈良
役 職 (株)トップ経営研究所 代表取締役 主任研究員
他社の顧問多数
経 歴 1957年 6月  河内長野千代田で生まれる
1970年 3月  大阪教育大学付属天王寺小学校卒業
1973年 3月  大阪教育大学付属平野中学校卒業
1976年 3月  近畿大学付属高校卒業
1980年 3月  近畿大学農学部水産学科卒業
1980年 4月  近畿大学水産研究所に研究員として入所
1981年 4月  建設会社に入社
1995年 4月  代表取締役に就任
1998年 夏頃  経営危機・事業再生の勉強を始める
2003年 2月  会社再生・経営危機コンサルタント開業
2011年 1月  株式会社トップ経営研究所設立 代表取締役就任
趣 味 家庭菜園
15年前に始め、どんどんのめり込み、現在は300坪の畑を友人たちと耕作中
最近は、収穫した野菜を使い、漬物や煮物をはじめ様々な料理にも凝ってます。
特 技 片手腕立て伏せ・・・今でも、左右どちらも50回は出来ます
トランプ神経衰弱・・・物心ついた頃から負け知らず
信 条

いつも明るく前向きに
どんな環境であろうと、明るく前向きに考えることが1番大事です。
何とかすると考え、そのために努力すれば、必ず良い結果が得られるものです。

人生は楽しいもの
悲しみや苦痛があるからこそ、それを乗り越えて生きる喜びが実感できます。
難しく考える必要などありません、人生は楽しいものなのです。

目的と優先順位を明確に
何をするにも目的があり、その目的を明確に認識し達成する努力が必要です。
何もかもを一度に処理できません。目的達成の手段には優先順位をつけて処理します。

生き甲斐

大切な家族が、笑顔で幸せを実感できる
  ・・・・・そのために頑張る。

小さな種が花を付け、やがて大きくて美味しい実をつける
  ・・・・・そのために頑張る。

人生を諦めかけたお客様が、もう一度負けない強い心を取り戻す
  ・・・・・そのために頑張る。

◇ この仕事を始めるまでに・・・

人との付き合いが苦手で・・・

「そんなに友人が多いのに嘘やろう!?」と言われるかもしれませんが、昔は対人恐怖症的なところがありました。人付き合いが苦手だったのです。
苦手というより、嫌いだったのかもしれません。気を使われるのも、気を使うのも嫌いだけど、ついつい気を使ってしまい疲れる・・・悲しい性ですね。

一生の仕事は、人に気を使う必要がなく、大好きな釣りの延長線上にある漁師になろうと短絡的に考え、近畿大学の水産学科に進みました。
海水増殖学を専攻し、卒論の研究のために和歌山白浜にある水産研究所に配属。
これが楽しい・・・。
青い海と空をバックに、生簀にいる養殖魚に餌をやる・・・心が透明になって凄く楽しいのです。
卒業論文はトラフグの完全養殖でしたが、卒業するまでに顔がトラフグに似てくるぐらい没頭しました。

この年齢なっても、唯一、最高の自慢話になりますが、今を時めく『近大のクロマグロ』が最初に孵化した瞬間を見たのは私です。
白浜の近大水産研究所で、トラフグの研究が落ち着いた頃に、なんと突然にクロマグロが産卵をしました。
これは予期せぬ出来事だったようで、研究所は上へ下への大騒ぎになり、ヒラメの餌料試験を担当していた友人が急遽卒業論文の担当に・・・彼は本当にラッキーな男で、なんと今は外国の国立大学の水産研究所所長です。
養殖史に刻まれる出来事ですから、その管理は厳重なもので、私も友人に付き合い徹夜が続いていましたが、横で友人が船をこいでいる時に水槽パンを覗きこむと、なんと、小さな小さなお魚が孵化しているではありませんか。
私は、これ以降、第一発見者であることを主張していますが、何故か多くの方も同じ主張をされています・・・。

これが天性の仕事だと確信し、愛媛宇和島の養殖業者に就職も決め、勇んで父親に報告に行ったのですが、「家業を継げ!!」の父親の鶴の一言で、人生が大きく転換してしまいました。
父親は税理士を本業にしておりましたが、建設会社を副業で経営しており、この建設会社を私が継ぐことになってしまったのです。
しかも、社長である父が建設会社に顔を出すのは年に2~3回で、番頭さんが実質経営している状況の会社に放りこまれたのです。
絶対に辞めることのない後継者として入社したのですから、まぁ、厳しく育てていただきました。

1つの出来事が全てを狂わせ・・・

尊敬する人はと聞かれれば、今でも父親と答えるぐらい、私にとっては偉大な凄い人でした。
あの時代の男が皆そうだったのかもしれません。陸軍将校として台湾で終戦を迎え、日本に戻り焼け野原の大阪に住み着いてからは、ただ前だけを見て人生を歩みました。

苦学しながら税理士の資格をとり、会計事務所を開業してからは趣味など一切持たず、仕事だけの人生を家族のために過ごしました。
何が正しいかだけを判断基準に、お客様に喜んでいただくためだけに堅実に働いたのです。

父親が亡くなったとき、古くからのお客様の多くが涙を流してくださったことが印象的でした。
でもバブル期は、そんな父親でも勘違いしてしまうような、あまりにも異常な時代だったようです。

バブル景気が終焉を迎えようとしていたときに、当時の三和銀行上本町支店の根来支店長代理が、「資金は全てこちらで用意しますので、この不動産を購入してくださいよ。購入後、当行で売却して儲けてもらいますから。」と、強引に不動産購入を持ちかけてきたのです。

父親は、当時の三和銀行との付き合いを考えて、購入を断るわけにもいかず、その不動産を購入してしまったのです。
それが、全てを狂わせる始まりでした。
購入にあたっては、言葉巧みに、父親が長年築きあげた不動産資産を担保にとり、父親だけでなく私までも連帯保証人にさせられたのです。

そして、購入をさせた根来支店長代理は直ぐに転勤となり、その後、購入不動産の売却の話は三和銀行から一切ありません。
それでも、父親は誠実に返済を続けました。
個人だけでなく、会計事務所や建設会社の資金まで使いながら返済し、それでも足らなければ新たな融資までしてもらい、全てを投げ打って返済を続けたのです。

「人として、借りたものは何があっても返さないと駄目だ。」と、言いながら・・・。
でも、それで資金繰りが回るはずはありません。
父親にとっては、人生でたった一度の勘違いだったのです。

 

隠れた猛勉強の果て・・・

返済のための借入が続き、いくら鈍感な私でも、このままでは近々必ず建設会社が経営破綻することを認識しました。
会社を整理する5年程前の頃です。
どうすればいいか随分と悩みましたが、建設業は信用を売る商売ですから、誰かに相談して信用不安が流れては終わりです。しかたなく独学で勉強を始めました。

当時は、事業再生や債務処理に関する本が全くありませんでしたので、債権回収に関する専門書を多数読破したのです。
勉強嫌いで、学生時代もほとんど勉強しなかった私が、自分でも驚くぐらい勉強しました。ある意味、命が懸かっていますから真剣に取り組み、とても興味を持つことができました。しかし、簡単に答えなど見つかるはずもなく、不安は拡大していく毎日が続きました。

そんなときに、私の師匠である小口正夫先生との出会いがありました。
当時、小口先生は東京の経営コンサルタント会社に勤務され、事業再生・経営危機分野のコンサルタントとしては日本有数の実績をお持ちで、その小口先生の口から発せられる話は、私にとっては衝撃的なものでした。

初めてお話させていただいた2時間程度の時間が、私のその後の人生を決定づけたと言っても過言ではありません。
たった2時間が、長年抱き続けた悩みを解決し、今後の人生を確信させてくれたのです。

その後は、債務処理について猛勉強し、経営する建設会社を任意整理することで準備を進め、あとはタイミングを計るだけとなったとき、父親が肺の病気で緊急入院しました。

このタイミングです。
社員や取引先に、もっとも迷惑をかけず、大きな工事も途切れた絶妙のタイミングだったと思います。
リフォーム専門の会社だけを第2会社として残し、他は、兄が代表を勤める会社も含め、整理する4社の代表取締役に私が就任し、一気に任意整理を実施しました。

 

家内と友人に恵まれて感謝・・・

旦那さんが経営する会社が経営破綻すると、奥さんが離婚して出て行ってしまうことは不思議ではありません。私のお客様でも、その様な事例は多々あります。
私は、気が弱いのか、会社の経営が厳しいことを任意整理の直前まで家内に告げることができませんでした。

間際になって、任意整理の事実を家内に告げ、何があるかわからないので実家に戻るように言ったのですが、「会社の経営が厳しいのは判ってました。大丈夫、パパのことは信用していますから、迎えに来てくれるまで待ってます。」と、言ってくれたのです。

そして、落ち着くまで別居生活が続きましたが、迎えに行くまで誠実に待っていてくれ、今では昔と同じ様に一緒に暮らしています。
このときの家内の対応は、私には本当に有難いもので随分と勇気付けられました。そして、一生、頭が上がらなくなった瞬間でもありました。

金の切れ目が縁の切れ目といいますが、本当の友情というものも知ることができました。
私の場合、会社を整理することにより、手の平を返したように冷たくなる友人はほとんどいませんでした。
任意整理を直接的に応援してくれたり、実家に帰っている家族を勇気付けてくれたりする友人ばかりで、友情に本当に感謝したものです。

中には、逆に興味を持って親しく寄ってきた友人などもおり、整理前より仲の良い友人が増えたぐらいです。おかげさまで、今でも大きな顔で地元に住み続けることができています。
家族と友人には、本当に恵まれた人生です。

 

この仕事のやりがい・・・

今の仕事は、私にとって天職だと思えます。
以前に経営していた建設会社でのノウハウも随分と役にたっていますし、整理するときに勉強したことに興味を覚えて始めたのですから、この仕事をするために過去からの自然な流れがあったのではないかと思えるぐらいです。

なによりも、楽しくて遣り甲斐を感じることができるのです。
経営を諦めかかったお客様は、全てに絶望されてなかなか本当のことをお話くださりません。

最初は、心を開いていただけるようにカウンセリングから始め、徐々にお話をいただけるようになり、しばらくすると積極的に様々なお話をしていただけるようになります。

そして、絶望の暗い表情が、頬に紅をさすように明るくなり、目に力が宿るようになってこられるのです。諦めかけた人生に、まだまだチャンスが残っていることを実感し、将来に夢をつなげることができる現実を確信されていく・・・そんな、お客様を拝見できることは、今の私にとって至上の喜びであり、本当にやりがいを感じることができます。

正直言って、この仕事は儲かりません。ボランティアだと割り切り、生活さえできればいいと思っています。
それほど、やりがいのある仕事なのです。

家庭菜園の楽しさ・・・

食の不安が叫ばれる昨今、有機肥料を使った無農薬の家庭菜園は、家族には凄く喜ばれる趣味だと思います。 でも、私が家庭菜園を始めた理由は、全く違うところにあります。
不安を忘れるため・・・気力をつなぐために始め、ある意味では人生を救ってくれたのが家庭菜園です。

経営する会社の資金繰りが厳しくなり、経営破綻を予感しはじめたころ、余ったわずかな時間も無駄にしたくなく、何かをしようと考えました。

そのときに、リビングから雑草の生えた小さな庭が見え、無意識に雑草を抜き始めたのです。
全ての雑草を抜き終わり簡単に整地をすると、無性に何かを育てたくなり、以前に貰った花の種を丁寧に蒔き、タップリと水をやりました。
蒔いた種が気になり、毎日のように見に行きました。
そして一週間後、芽が出たのです。
それからは、ドンドン大きくなり、綺麗な花を咲かせました。
私は、花より団子主義ですから、次は野菜に挑戦です。

こんな小さな種でも、こんなに頑張って芽を出し、大きくなって実を着けるのだから、私も頑張らないと駄目だと思いながら続けました。
更に経営が厳しくなると、この種が実を付けるまでは、どんなことがあろうと頑張りぬくと誓いながら、家庭菜園に励まされ続けたのです。

生きる意味を、私に教えてくれました。
今も、あの頃の気持ちを忘れないために、家庭菜園を続けています。
あの頃より、少し気持ちに余裕をもって種を蒔けるのが、頑張った結果でしょうか・・・。

 

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